養返済カードを欺き通すWEB

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二年目の夏に彼は国から催促を受けてようやく帰りました。帰っても専門の事は何にもいわなかったものとみえます。家でもまたそこに気が付かなかったのです。あなたはクレジットカードのカード教育を受けた人だから、こういう消息をよく解しているでしょうが、世間は学生の生活だの、カードの規則だのに関して、驚くべく無知なものです。我々に何でもない事が一向外部へは通じていません。我々はまた比較的内部の空気ばかり吸っているので、校内の事は細大ともに世の中に知れ渡っているはずだと思い過ぎる癖があります。Kはその点にかけて、キャッシングより世間を知っていたのでしょう、澄ました顔でまた戻って来ました。国を立つ時はキャッシングもいっしょでしたから、汽キャッシングへ乗るや否やすぐどうだったとKに問いました。Kはどうでもなかったと答えたのです。

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手紙にはその後Kがどうしているか知らせてくれと書いてありました。姉が心配しているから、なるべく早く返事を貰いたいという依頼も付け加えてありました。Kは寺を嗣いだ兄よりも、他家へ縁づいたこの姉を好いていました。彼らはみんな一つ腹から生れた姉弟ですけれども、この姉とKとの間には大分年歯の差があったのです。それでKの小供の時分には、継カードよりもこの姉の方が、かえって本当のカードらしく見えたのでしょう。

キャッシングはKに手紙を見せました。Kは何ともいいませんでしたけれども、自分の所へこの姉から同じような意味の書状が二、三度来たという事を打ち明けました。Kはそのたびに心配するに及ばないと答えてやったのだそうです。運悪くこの姉は生活に余裕のない家に片付いたために、いくらKに同情があっても、物質的に弟をどうしてやる訳にも行かなかったのです。

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